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Happy Birthday
今日で、32歳。
月日の過ぎて行くのは早いものだ。
1年経って、また1年が・・・・。

先日、PCが壊れそうになって(壊れて?)データバックアップして、整理していたら、もう9年前?の文章を見つけた。
昔は、良く作文というか、詩というか、いろいろ書いていたのでそれなりに文章が残っていた。
(最近は、ほとんど書かないんだけど・・・)

で、それらの懐かしい文章を読んでいて率直に思った。
昔の方がしっかりしていた??(^_^ゞ



そんな自分に乾杯したい。。。

(以下、1997年に書いてたのをそのまま引用)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「あれから10年」


 あれから十年

 私が不治の病に侵されてから、今年でちょうど十年になる。この十年間は、長くもあり短くもあった。大きく変わったことと言えば、走り回れなくなったことであろう。今では立ち座りですら、かなりしんどいのが現状である。もうしばらくすると、私の左脚も使いものにならなくなるだろう。日々生活を送っていく中で、全身の筋力が弱っていくのが手に取るように感じられる。全身の筋肉が痛むときも度々ある。転けるときもある。泣きたくなるときもある。いろいろと考えさせられるときもある。

 何でこんなに苦しまなければならないのだろう

といつも思うのである。しかし、私は今の自分に負けたくはないし、病気にも負けたくはない。逆に、こんな状況に追い込まれたことをありがたく思う。おそらく、私が健全で何不自由なく暮らしていれば、今の自分は存在しなかったと思うのである。小さい頃から、喧嘩好きで、相手の気持ちなど考えたことはなかったからである。だからもし、そのまま大人になっていれば、ろくな人間にはなっていなかっただろうと思う。
 身体にハンデを負うことにより、人の心の中が見えるようになることができたのである。今はまだまだ未熟かも知れないが、それはこれからもっと修行していけばいいことだと思う。

 生きる喜び
 友達の大切さ
 人を思いやる気持ち
 恨み
 憎しみ
 怒り

いろいろと感じることができる。この体験は、普通の人には味わえない事だと思う。良く、

 相手の気持ちになって考える

などと言うが、本当に相手の気持ちになって、立場に立って物事を考えるというのは不可能である。人間というのは、自分がそういう立場にならないと理解できない生き物なのである。なぜなら、事故や病気で手足をなくしたりしたときには、その人は非常に今までの人生を後悔するからである。もし、人は皆平等であり、互いに助け合い、生きていくことができるのならば、こうかいはしないであろう。単に、手や脚がなくなったに過ぎないと考えれば良いからである。この考えができない限り、人間は人生を真っ当に生きることはできないだろうし、自分の人生を一生懸命、無心になって生き抜くことはできないだろうと思う。

 生きると言うことは、大変難しいことなのかも知れない。だが、難しくなければ人生は面白くない。ここに、生きる価値があるのだと思う。私の人生観は、

 人生は常に楽しいもの
 楽しくないものは自分で楽しくするもの

である。人生山有り谷有りとは良く言うものだが、谷のどん底へ一度落ちてしまえば、もうそれ以上落ちることなどないので、気楽なものである。逆に、山を登る楽しみが増えたのだと私は思う。世間に、登山家は居ても、下山家はいない。なぜなら、今住んでいる所よりも高いところに登ることに価値があり、誰も行か
ないような所に登ることに価値があるから、人は皆、山に登るのである。そして、楽しいから登のである。単に、自分たちの住んでいるところへ戻って行くだけの下山家はいないのである。だから、私は世界一の登山家を目指す。まだまだ私よりもすごい登山家は多いと思うが、その人達に負けないように努力し続けようと思う。もちろん登る山の名前は「人生」という山である。そして、人生の頂上まで上り詰め、頂点を究める日が来るまで頑張り続けようと思う。

 私の周りには、友達が集まってくる。それは、私がいい人なのか、集まりやすいだけなのか、同情されているだけなのか、私には分からない。しかしながら、みんなが私の周りに集まってきてくれると言うのは、なかなか良いものであると思う。そしていつも、みんなで騒いでいる。最近は車で、いつも遊びに行っている。デートにも良く行く。とりあえず、私の中では、遊べる内に思いっきり遊んでおきたいし、自分の脚で行けるところには自分で行きたいと思っているのだ。やっぱり、何でも自分でできる間が花だと思う。動けなくなり、自分で何もできなくなれば、やりたいと思っても、それは一人でやることはできないし、内緒でやりたいこともできないのだ。それに、人に頼むには恥ずかしいと思うことまで頼まなければならないなんて、やってられないように思うからである。もしかすると、今の友達は動けなくなったときの保険かも知れない。お互いに、何も隠すことなく打ち明けられる友達、友達と言うよりも親友がたくさんいれば、悩むことも少なくなると思うからである。だから、表面的な付き合いよりも、内面的な付き合いの方が良いように思う。

 人という字は二人の人が支え合っている

と良く言う。しかし良く見ると、左の人はじっとしていて、右の人だけが支えているようにも見える。今の私は、その左の人なのかも知れない。みんなに支えてもらっているから、今、自分はこんなに楽しい生活を送れているのかも知れないと思うのである。早く、親友を支えてあげれるような人間にならねばならぬと思う。
 尾関和尚の言葉に、

 人生とは毎日が訓練である
 わたくし自身の訓練の場である
 失敗もできる訓練の場である
 生きていることを喜ぶ訓練の場である
 今この幸せを喜ぶこともなく
 いつどこで幸せになれるか
 この喜びをもとに全力で進めよう

 わたくし自身の将来は
 今この瞬間ここにある
 今ここで頑張らずにいつ頑張る

という教訓がある。その通り、毎日が訓練であると思うし、修行なのだとも思う。でも、同じ修行ならば、苦しいものより楽しい方が良いに決まっている。つまらなければ、面白くすればいいのだ。そうすることも訓練の一つだと思う。私にできることと言えば、周りの人を楽しませたり、私も頑張っているんだからあなたも一緒に頑張ろうよと励ますことぐらいだと思う。だから、私はできることを精いっぱい頑張るだけである。

 私が頑張れる事の一つは、女である。私は昔から好きな女のためになら、何だってしてきた。普段できないことだって、やり遂げてしまうのである。自分でも分からないが、苦にすることなく、疲れることなくやり遂げてしまうのである。だから、今まで挫けず、頑張って来れたのは、全て好きになった女の子のお陰である。私が普通の人よりも動けなくっても、みんなと同じようなデートができなくても、私と一緒にデートしてくれる女性がいる限り、私を愛してくれる女性がいる限り、いつまでも頑張っていけるように思う。恋人は、私にとって唯一の特効薬であり、恋愛は最高のリハビリかも知れない。だから、これからもずっと恋をし続けて行くだろう。

人生に道などない
私の前にあるのは生い茂った草原
遠くに見える丘に向かい
草をかき分けて前へと進む
その丘への行き方は自由である
誰に制限されることもなく
自分が行きたい道を 自分で作ればいいのだ
人よりも早くたどり着けるかも知れない
何年かかるか分からないかも知れない

途中 何に出会うか知るわけがない
だから人生は面白いんだ
険しければ険しいほど 面白い
困難が多ければ多いほど 進みがいがあるんだ

自分は常に人生の開拓者でなければならない
自分の道は自分で切り開いていくのである
休憩してもいいし 寝ていてもいいのである
遠回りをしてもいいのである
こんな自由な人生を
満喫しなければ損である
他人と違う道を
風変わりな道を
開拓して進まないと面白くない
人生はギャンブルみたいなものだから

私は今その道の途中で 一休みしているところだろう

一九九七年九月十五日
| 一般。。。 | 23:56 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
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